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安東次男 CALENDRIER

廣松渉の「存在と意味」

 このページでは、「外壁と内壁の構造」で表記されている赤字のC部について考えたいと思います。

 安東次男が「『重層的イメージ』の裏の“深い”ところで働いているプロセス」について考えていたこと(思考実験上、あるかどうかは別として)は、「みぞれ」二月、また評論「ある鑑賞」より想像できます。
 当然ながら、安東次男はあまりいい印象をもっていないし、積極的には語られていません。
 どのように考えていたかについては(探し方が悪いのかもしれませんが)、著作集のなかには、なかなか見つけられませんでした。

 あえて言うと、以下のようなところがヒントなんだと考えています。

 すさまじき女の智慧もはかなくて
  何おもひ草狼のなく                  野水

 の解釈を述べるところで、

 野水は、『冬の日』の連衆の一人、その文人趣味がおもわずこの句作りにも出たのであろうが、去来の虚の句作りをいっそう観念の遊びに追いやってしまっている。そこもまずい。  (著作集第三巻『芭蕉七部集評釈』「灰汁桶の巻」 228頁)

 都合のいい引用となってしまっているのかもしれません・・・。

 「重層的イメージの裏の“深い”ところで働いているプロセス」は、言葉を変えて詩のなかに頻出します。
 「痛みの連祷」「白骨となった魚たち」「魚の目に熟れる果物」「ふかぶかを柄をうめる果物」、「途方もない垂直の成熟」 etc ・・・

 私はいままでこのホームページのなかで、「物質感」の反義語として「抽象性(化)」という言葉をあてはめていました。
 その理由は、安東次男が「イメージの重層性」や「言葉の物質感」という感性を獲得したのは、エリュアール、ヴェルレーヌなど、フランス語の詩の学習を通じてであり、そこに反義語として芭蕉の「重み」とか「細工」をストレートにあてはめることは難しいだろう、と考えていたからです。
 だから、言葉の一般的な意味での反義語ともいうべき「抽象性(化)」という言葉を選びました。
 間違っている可能性は十分あります。
 たとえば比喩の手法について述べていたのかもしれません(比喩とはなにかとなると、「隠喩論」だ、「月見うどんと、きつねうどんと、親子どんはどうちがうか」なぞと、正直、難しい・・・)。
 ひょっとすると、安東次男は自身の批評態度について諦観をもっていて、そのことを言っているのかもしれません(もっと考えにくいけど・・・)。

 「人が一つの言葉を聞いたとき、イメージする多数の像の裏で働いているプロセスについて述べよ」という問題は、結局は哲学の問題になってしまうのでしょうか・・・。

 廣松渉という哲学者が、言葉を聞いた時に人が思い浮かべる多数のイメージと認識のプロセスについて、解説しています。この哲学者の考え方というのは、安東次男と似ていると思います(たぶん・・・)。


 ・・・例えば<三角形>という普遍者(これは鋭角三角形・直角三角形・鈍角三角形といった特殊な形の三角形ではなく、鋭角三角形でも直角三角形でも鈍角三角形でもあるごとき普遍者・普遍的な三角形でなければならない)が表象=心像として存在しえないことは明らかであって、心像=表象のかたちで現前する三角形は特定の形での鋭角三角形か鈍角三角形かのいずれかである。心像観念としての三角形はその都度特殊な三角形たらざるをえず、普遍的・一般的な三角形ではない  (『存在と意味』 268頁)。


 要するに「三角形」という言葉を聞いた時、私たちが思い浮かべるのは、具体的な三角形であって、抽象的・普遍的な三角形はイメージ不能だと言っているのです。
 
 さらにいわゆる日常的によく使われる「抽象」という言葉の本体は「帰納的抽象」なのだけれども、その帰納的なプロセスは存在しない、と言ってらっしゃるようです。なぜなら、例えば<三角形>といわれて思い浮かべる群のなかには<四角形>は絶対入ってこないわけです。多数のイメージから抽象概念が抽出されるわけではなく、多数のイメージを思い浮かべた時点で、三角形の取捨選択が終わってしまっているのですから、「帰納的抽象=日常的によく使われる抽象ということ」はありえない、と言っておらっしゃれてられるようです。
 ではその取捨選択の基準はどのように形成されるのか、と論理展開されていくのですが・・・。

 要するにこの哲学者は、私たちは言葉を聞いたときに思い浮かべる多数のイメージ(安東次男の“イメージの重層性”と似ている)から先に、日常的に考える「帰納的抽象抽出」のプロセスが存在するわけではない、といっているのです。
 “悪い印象を持っているようだ”ではなく、“否定”です。

 「重層的イメージの裏の“深い”ところで働いているプロセス」を安東次男は“比喩”と考えてはなかった、と思うのですが、きわめてひっかかる文章もあります。

 ・・・もちろん私が云うのは、一比喩のことではない。詩人の明晰さとは、イメージの重層性によってそうした比喩を拒否するところにこそある。  (現代詩文庫 『安東次男詩集』 「ある鑑賞」95頁)

 ここでは“直喩”として“一比喩”が使われているようです。
 「ある鑑賞」を読んでいると、「比喩」という言葉は5回登場します。でも、ひとつひとつの「比喩」という言葉の使い方がすこしづつ違っていて、少々曖昧なような気がします。

 「重層的イメージの裏の“深い”ところで働いているプロセス」の実態については、安東次男も、実はあんまり考慮していなかったのではないか、などと本人の前では絶対に口に出せないことも考えてしまいます。  げんに『風狂始末』を読んでいると、解釈的に“逝ってしまっているところ”が何ヶ所もあります。私は安東次男はそこで、“評釈を通じて詩を謡っている”のだと考えています。

 廣松渉という哲学者は、議論で使われる言葉については、それが日常でも使われる言葉であるならばなおさら、議論で通用するような狭義の定義をしなおして使っています。哲学するのなら当たり前の最初の態度なんでしょうけども、これはおよそ日常的な言葉の使い方ではありません。
  「鏡のなかの自分を撃て」というようなもので、当然ながら、詩人の言葉の使い方ではありません。
 詩人に哲学を要求するのは、まちがった行動なのでしょう。


               《平成22年11月23日記》

 「蕪村論」のなかの「『澱河歌』の周辺」と「『春風馬堤曲』新釈」を読み比べると、安東次男の認識の限界点のひとつを発見できた気がします。
 いままで「抽象性」としてきたもの、言葉の認識の“境界の裏側にあるもの”、「外壁と内壁の構造」のページの赤字のC部にあたるもの、それは「言葉を持たない乳幼児期のシンボリックな性の表現」、あるいは「言語獲得以前の象徴を利用した世界の認識の仕方」なのだと思います。
 もちろんこれはそのうちのひとつで、全てではありません。
 安東次男は徹底して三才児よりも成長した世界に生きているわけで、それよりも退行した言葉(というより“象徴”)は認識することができないし、言語獲得以前の象徴を利用した認識の仕方は、<言葉が人の心にイメージを喚起する過程>を阻害すると考えているようにみえます。

 このページがつくられたのはほぼ一年前です。今回はあえてこのページを上書きすることはせず、この文章を追加しました。

 逆にいうと、やはり、生きていて体温を発する言葉であるかぎり、神の視線からは逃れられないことがよくわかりました。