ここでは『風狂始末』を通して、エスパース画廊版『人それを呼んで反歌という』を最後に、安東次男が詩を捨て、芭蕉の連句の評釈に没頭していった理由を探っていこうと思います。
結論から言ってしまうと、フランス語の学習を通じて得られた言葉の「イメージの重層性」や「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」は、日本語の詩表現のなかには存在しないので、それにもっとも近い感性と様式を、芭蕉の連句のなかに求めるようになったため、だと思います。
連句の「虚実の取り出しや奪い方」に、「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」をみて、さらにそれが三句に渡るとき、「イメージの重層性」をみていたのだと思います。
無念さは、「みぞれ」二月において暗示されます。
フランス語では、les eaux(水)と les yeux(眼)という二つの単語を組み合わせることで、《LES ZIAUK》という造語が、《水+目》の綴りから、詩表現としての“泪”となりうることを。
しかし日本語として使われている漢字では、同様のことをしたとしても、一つの漢字とそれがイメージする意味との結びつきが弱すぎるために、「掛けことば」に終始してしまい、それ以上のイメージをつくり上げられないことを・・・。
和歌・連歌、そして貞門・宗因までの日本の古典の言語表現様式に、言葉とイメージの堅固な結びつきやイメージの重層性を求めたとしても、それは無理なのでしょう。
『風狂始末』三部作の評釈上の特徴からみていきましょう。
まず第一は、『芭蕉七部集評釈』では一巻につき二、三箇所はでてきていた「匂付」が、『風狂始末』では避けられていることです。
もうひとつは、従来は単純な「其場、其人」などの見立てとされてきた付けを、特に虚実の取り出しと奪い合い、座の人間関係に重きをおいて三句に渡って考察し、それを解釈・批判に優先していることです。
安東次男は『風狂始末』では「匂付」を避けています。
『風狂始末』三部作を読みすすめていくと、「前の句に、匂付をした・・・」という表現がされているところは一箇所しかないことに気付きます。
『風狂始末』の「こがらしの巻」98頁です。しかしそれは、
空想裡の付に、人物や場所の特定は必要でない。匂の花の座に典型的な「匂」付を以てした作りである。
とカッコつきです。なにやら意味ありげですが読みすすめていくと、
匂付ということをどこまで句の情景から引離して読むか、これはむつかしい問題であるし、また「雁がねの巻」興行のころそれほど進んだ匂付の解釈があったか、ということも問題になる。 (『続風狂始末』 129頁)
これは折口信夫の評釈に対するコメントです。
安東次男がなぜ「匂付」を避けるようになったのかというと、
芭蕉の無常観の新しさは、歌仙という形式が、時間の流れに受身で処するかわりに、積極的にそれに棹さす智慧を教えた点にある、と先に私は言ったが、匂(響き)付けとは、結局、その智慧に支えられた句作りの名にほかなるまい。 (著作集第三巻『芭蕉七部集評釈』「灰汁桶の巻」 244頁)
この文章からすると、「匂い付け」は、“付ける”方法というよりも、句作りの一手法であるようなことが語られています。
前にも引用したのですが、『安東次男著作集』の「芭蕉をどう読むか きき手・大岡信」より再度引用します。
以下の文章は『安東次男著作集』全巻を通じても、きわめて重要です。
「梅が香」の巻は、一見平坦に見えるから、そう読むのだろうが、ぼくに言わせるとそれだけにいっそうしゃれた詩がそこに隠されていて、いわゆる匂付としての展開の妙味がある。そういう、ことばのもつ意味と心との二重構造みたいなものが、虚実相補ってはこばれている。それを抜きにしたらこの歌仙はつまらない巻だと思うんだけれど、みんなじつにつまらなく読んでいる。そのくせつまらないとはけっして言ってないんだな。枯淡の芸境だとか何とか言ってね。 (『安東次男著作集』第三巻 457頁)
要するに、「匂付」と、「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」と「虚実の取り出しと奪い合い」は同じことであると言ってます。
とすると、「匂付」を避ける以上、余情・余韻付けをこの残り二つのどちらかを使って代償しなければなりません。
安東次男は、『芭蕉七部集評釈』でよくしていた「匂付」を、『風狂始末』三部作では「虚実の取り出しと奪い合い」で代償していったのです。
そうすることで、解釈の視点は、よりプリミティブで原始的なレベルに退化しました。
「退化した」とは、原理的な部分に近づいたということです。
結果的には、より厳密な態度で「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」をみることになっていったのだと思います。
其人にせよ其場にせよ、連句のはこびに見立てを乱用したがるのは、物の晴陰・長短・高低、言葉の虚実が見えていない証拠である。 (『風狂始末』 36頁より)
毎度云うことだが、興も言葉も虚実・明暗・強弱が補い合ってこそはじめてうごく、というごく当たり前のことを見失っては連句などやる甲斐がない。 (『続風狂始末』 234頁より)
“虚”というと、“余韻”とされていますが、
・心理学でいう無意識
・比喩
・象徴
も含んでいます。また“実”というと、
・ものや実態
・五感で感じられること
・定義されている概念
などのことです。
安東次男は“虚”に“イメージ”、“実”に“言葉”を対応させていたのではないかと思います。
「虚実の取り出しと奪い合い」と「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」は同じことなのでしょう。そして、「虚実の取り出しと奪い合い」と「言葉の物質感(言葉とイメージの堅固な結びつき)」が三句に渡るときに、「イメージの重層性」をみていたのだと思います。
座の人間関係まで三句に渡って考察していたことについて言えば、
ことばの自他や虚実も弁ぜずに人情三句のわたりを解くことはできない。いずれも連句とは無縁の標語である。 (『続風狂始末』 123頁より)
それは、たとえば露伴が云う「故実など有りとも覚えず」というようなことではなくて、連句の運びが教えてくれることである。 (『続風狂始末』 130頁)
相伴には客側もあれば亭主側もある、という点にまで座(読者)の注意を促したものを見かけない。これまでの連句解釈なるものが最初からまず躓いたのは、礼法の基本は一客一亭ではなくて、相伴を加えた三人と考えるべきだ、といういとも簡単なことを見過ごしてきたからだろう。 (『風狂始末』 21頁)
人間関係を三句に渡って解釈することは、他の人の評釈ではなかなかみられません。なかでもすごいのは、「鳶の羽の巻」冒頭部で、従来(ここ320年ほど)、「停滞した運び」とされていた評釈を一蹴しています。
史邦は、及ばずながら吾々も、と腰を上げたがっている。どうやら興行は『猿蓑』撰を言寿ぐ(ことほぐ)趣向で始まったらしい。 (『風狂始末』 122頁)
従来は単純な「其場、其人」などの見立てとされていたものを、実際に歌仙が巻かれているその場の雰囲気、その場の挨拶の機微に引き上げてしまっています。野球にたとえるならば、スコアブックを読むのと、試合のビデオを見るくらいの差となっています。
安東次男が芭蕉の連句の評釈をするとき、「虚実の取り出しや奪い方」を重視するのみならず、自他、座の人間関係まで三句にわたり詳細に考えていたのは当然なのです。
私が『風狂始末』のなかから、ある部分を取り出して、「ここに、虚→実→虚 の見事な取り出しと奪い方がみられる、安東次男はここに『イメージの重層性』をみていたに違いない」と、ややこじつけ気味にいうこともできます。。
が、あえてそれをするのは止めて、逆に「ある鑑賞」のなかに“虚実の取り出しと奪い合い”をみていこうと思います。
あらためて「ある鑑賞」を読み直してみると・・・、
私が求められた課題は<短歌・俳句>のための鑑賞の「窓」である。それを私は忘れているわけではない。
「ある鑑賞」は、単なる詩の鑑賞について述べているのではないことがわかります。
「あさむず」の催馬楽歌についても、ほぼ同じことが云える。「降りし雨の」が「古りにし我を」を引き出してくるところは陳腐でしかないが、「古りにし我」が逆行して「降りし雨」の中に<降りし雨>を読ませるところに、私の目は惹かれてゆかざるをえない・・・・・この催馬楽歌にもそうした痴情の、芯のようなイメージが当然あったであろう。
ここでは、「古りにし我」という言葉からさかのぼって、“実”の「降りし雨」をいったん「古りし雨」に読み換えて、“虚”の「痴情」のイメージを取り出しています。
さらに和泉式部の和歌を読むところでは、
竹の葉に霰ふる夜はさらさらに独りは寝べきここちこそせね
<一向に独りで寝る気にならぬ>から逆行して、独り寝の姿が「さらさら」つまり清純なものと重なり合い、更に玉霰の音なり色なり(そういう堅固な物質感)と化したところで、さたそういう清純な寝方はできないものよという女の春情に興があるのである。
ここでも、「独りは寝べきここちこそせね」という言葉からさかのぼって、「さらさら」という“実”の擬音語から、「清純さ」という“虚”を取り出しています。
誰がほかに、自国の古典へ向けて遁走すると云うことができたであろうか
のは、富永太郎ではなく、安東次男本人です。
こう考えていくと、安東次男が詩を捨て、芭蕉の連句の評釈に没頭していったのは当然だったと思います。