この詩集を解き明かすためのヒントが示されているのは、「ある鑑賞」、「詩について」だけではありません。芭蕉七部集評釈の「梅が香の巻」の評釈のなかにも興味深い記述があります。
芭蕉晩年の「軽み」とは何であったかを、言うことは容易ではない・・・ ・・・「軽み」の工夫に、その晩年芭蕉がとくべつの関心を寄せていたこともまた疑のない事実であって、元禄七年奥書の『別座鋪』には、「翁今思体は浅き砂川を見るごとく、句の形、付心ともに軽きなり。其所に至りて意味ありと侍る」 (安東次男著作集第三巻 363頁)
また「風狂始末」中の、『冬の日』の「こがらしの巻」の評釈中に、以下の記述があります。
連句の要諦は、連想の範囲をむしろ限定したがる相手の用辞を見据えて、いかにしてその繋縛から上手に逃げられるかに尽きる。芭蕉が晩年、「軽み」の提唱にたどりついた意味はまさにそこにあるのだ。 (風狂始末 61頁)
わずか百字もない文章です。
でも、この言葉が存在しているのは「風狂始末」の中です。
この三部作は、私にとっては新約聖書です。
言葉の「重層的イメージ」をどのように考えていたのか、この三部作から読みとらねばなりません。安東次男は、それを「虚実」と近い感性としてとらえていたのだと思います。
ページを改めて検討していくわけですが、納得がいくまで検討するのにはまだまだ時間がかかりそうです。
「年金生活者の思想」のなかにも面白い記述があります。
「永遠」とは、そうした闇の中での二人の共同生活であろう。それを彼は Eternite と大文字ではじめているから、この時期ランボーは、この共同生活をまだ絶対的なものと考えていたのであろう(翌七三年のこの詩のヴァリアントでは、最初の題一節の Eternite は eternite と小文字ではじまる語に置換えられる)。
ヴェルレーヌが enfin (やっと・・・)などとささやき寄ってきても、もはやランボーにはヴェルレーヌに対する性的なつとめ(devoir)などは眼中にない。あるのは大文字ではじまる Devoir (義務)だけである。 (安東次男著作集第七巻 167頁)
この詩を読む上での最大のポイントは、二度たたみこまれるようにしてでてくる「裸の思考」だと思います。一番目の浅く埋葬された「裸の思考」は、「氷柱」の「つやつやと脂のよくのった手なみ」、また「みぞれ」の「予感の折り返し点」と同様、言葉の喚起する重層的なイメージのことです。
さて、二番目の「もうひとつのはだかの思考」は、「L'eternite」のなかの小文字ではありませんが平仮名で表記されてます。
おなじような性格をもち、もっと軽いものです。
それは「軽み」しか、ありません。
こうしたことと、「みぞれ+白魚」での内容と展開を意識しながら、「人それを呼んで反歌という」を読んでみました。
十一月ともなり、枯葉の季節も終わりになると、いろいろなものがよく見える。
鳥やけものの動きだけではない、その巣穴、魚、転がっているリンゴについた歯型までよく見える。
ぼくはこうした風景を眺めていると、言葉のもつイメージの重層性について考えてしまうのだ。
言葉のもつイメージの重層性を意識した上で、抽象化といった詩作上のレトリックを拒否することは、詩人の明晰さともいうべきものだ。
それをここでは「裸の思考」といっておこう。
また、そうした態度で言葉の明晰さを追求した先に、「もうひとつのはだかの思考」ともいうべき「芭蕉の軽み」が存在しているのだと思う。
一方で、抽象性にこだわるあまり、自己撞着に陥ってしまった詩も多く存在している。
ぼくは詩をつくるとき、抽象化の効能を「信仰」していないので、そうした詩に出会うたびにびっくりしてしまう。
フランス語では、言葉とイメージは隠喩にて堅固に結びついており、その多義性に富んだイメージは物質感に満ちている。
しかし日本語では、その結びつき・イメージの多義性は「掛けことば」ていどのレベルに終始してしまっているのだ。
だからこそ、日本語で詩をつくるときは、抽象性のもつ「重さ」、イメージの重層性のもつ「軽さ」をよく考えるべきだ。
人は抽象化をろうして、それでつくられたものを詩(反歌)と呼んでいるのである。
そのことをゆっくり考えよう。
ぼくはここで詩への決別を歌い上げたい!
ぼくは、風景の表層にある魚、けものの巣穴、リンゴについた歯型から、言葉のイメージの重層性を思い浮かべる。そうした感性は「軽み」と同じことである。
このホームページの題ともしてしまったのですが、この詩のなかの「浅く」とは「軽み」のことだと思います。
「氷柱」のところでもふれましたが、「成熟」をここでは「抽象化、抽象性」としました。これについても、今後も考えていかねばならず、今は仮定です(外壁と内壁のメカでの赤文字のC部に相当します)。
あるいはこれは、「重み」なのかもしれませんし、「細工」なのかもしれません。でも芭蕉が言及する「軽み」とはベクトルが独立しており、方向が違うような気がします。
これもあとでページをかえて、検討していきたいと思います。
ところで、「反歌」が抽象化、概念化にてつくられた詩となるのならば、「人それを呼んで反歌という」という題は「人は抽象化、抽象性にてつくられたものを詩と呼んでいる」となります。
あるいは、「詩とは何か?」とたずねられた安東次男の回答なのかもしれません。
「安東次男の狂句」でも言及したいのですが、安東次男の詩には、気分の跳躍ともいうべきテクニックがときどき顔を見せます。
実は私が、安東次男の詩で、もっとも魅力を感じるのは、この仕掛け「狂句」なのです。
私はこの仕掛けに、安東次男の「狂句」、と勝手に名前をつけました。
朗読するとしたら、最後のひと言をいう前の息継ぎでもあるし、物理的に詩集の文字の印刷されていない隙間であったりもします。
それ以上に、いままで詩で触れていたことに直接の関係はないが、その詩のおかれている位置、性格上どうしても叫ばなければならない言葉、なのだと思います。
それを口にしようと、感情が高ぶっているのです。
次に配置されている「ある静物」では更に強い「狂句」がみられます。「人それを呼んで反歌という(十一月)」は、それと比べると「軽い狂句」しかありません。
「ある静物」は詩人そのものについての批判ですが、これは詩についての批判です。
安東次男はこの後、詩を書いていません・・・。
この小さな空間、小さな狂句で語られていることは、詩への決別の宣言だと思います。
なので、「ぼくはここで詩への決別を歌いあげたい!」と挿入しました。