でも観察者の位置が異なります。
「氷柱」では外側からみているのですが、「みぞれ」では観察者は境界の内側、あるいは映画のスクリーンの裏側にいて、「視線」が境界に衝突してどのように変化しているのか見ているのです。
この「みぞれ」の後半五行と、「白魚」はこの詩集を理解する上で重要です。「みぞれ」の後半五行と「白魚」、このふたつは切り離せないし、つなげて読むことでこそ、安東次男の一貫した詩の思想を理解することができるのだと思います。
つまり、フランス語における「イメージの重層性」と芭蕉の「虚実(匂い付け)」は感覚が似ていること、またそうした考え方の延長線上に、芭蕉の「軽み」が存在していると述べているのです(外壁と内壁のメカでの赤文字のB部に相当します)。
この「みぞれ」と「白魚」で語られていることを平易な表現にし、詩表現への決別の言葉(安東次男の「狂句」として)と、前に述べた彼の一貫した詩の思想をつけ加えたのが、「人それを呼んで反歌という」(十一月)です。
だから内容をみると、
- ・最初に具体的な風景を提示して、論の展開を始めること
- ・境界(重層的なイメージ)を越えての認識が不可能であること
- ・自己撞着に陥った詩についての批判
- ・フランス語では、言葉のあそびが重層的なイメージを生み出すことはあるが、日本語では、係り結び程度に終始し、その働きが弱いこと
- ・芭蕉の「軽み」について暗示すること
また、「氷柱」、「みぞれ」、「白魚」を連句の「三句のわたり」を考えることもできます。
鍵として意識すべきは、「ある鑑賞」のなかでクノーの詩《LES ZIAUK》について述べている部分、ほかに「開花期の思想」があげられます。
安東次男はこのなかで、しきりに「フェティシズムからの開放」について触れています。この場合の「フェティシズム」とは、言葉が人の心に喚起するはずのイメージを阻害する要因のことです。
そのころ私は不図したことからたまたま、自分の苗字に興味を持って、これを象形的な印象に仕上げてみたいと思った・・・(しかし)・・・この詩を得ることによって、印象に惹きつけられてゆく私自身のフェティシズムから逃れることができたのである。 (現代詩のイメージ「開花期の思想」 106頁)
安東の「東」という漢字があたかも「日」を「↑」が貫いているかのように見えることを例にあげて、漢字のような表意文字は、場合によっては表象性が強すぎて、その本来の意味やイメージとの結びつきを希釈させてしまう、ということを述べています。
「みぞれ」の最後の五行は、クノーの詩《LES ZIAUK》で達成されたイメージの重層性のまさに反対例の提示となっています。
「白魚」で使われている「期待」、「熟れた果物」とは、「ある静物」(十二月)にでてくる「わずかばかりの期待の温度・・・」、「途方もない垂直の成熟・・・」とおなじ意味で、言葉の抽象性にとりつかれ自己撞着に陥った状態のことです(外壁と内壁のメカでの赤文字のC部に相当します)。
また「転位」ですが、これは「ある鑑賞」のなかでアラゴンの初期詩集について述べているところの「転位」、また「詩について」の最後のあたりにでてくる「転換」と同様だと思います。
以上を踏まえ、「みぞれ」と「白魚」をつなげて読んでみましょう。
言葉が人の心に喚起する重層的なイメージを超え、さらに深いところにも意味が存在するだろう、という「予感」には折り返し点が存在する。
折り返し点とは、前の詩でもふれた「重層的なイメージ」のことだ。
その折り返し点を無理に通りぬけようとすると、言葉は「ふらんし死んで」しまう。
すでに抽象化し死んでしまった言葉なのに、それに気付かず、いつかこの卵は羽化するだろう、と暖める詩人もいる。
そうした抽象的な意味があるかのような言葉は、ぼくにとっては「神経痛」だ。
折り返し点の裏側をのぞいてみるといい。そういった言葉は収拾のつかない魚の白い骨のように散らばっているのだから。
白、魚、骨という漢字にさんずいを組み合わせたところで、「泪」になりはしない。
フランスの詩人クノーの作品に《LES ZIAUK》という詩がある。
これは les eaux(水)と les yeux(眼)という二つの単語を視覚的・聴覚的に組み合わせた、ちょうど日本の漢字でいうと「泪」に相当するような合成語である。詩人が勝手にこしらえた言葉であるにもかかわらず、フランス人ならばこの 《水+目》の綴りからイメージが重なり、軽やかに「泪」を思い浮かべることができる。
日本語として使われている漢字では、表意文字であるにもかかわらず、一つの漢字とそれがイメージする意味との結びつきが弱すぎるために、漢字を組み合わせたとしても、イメージの移り変わりや重なりといったことが心に閃かない。
と、ここまで考え詩をつくっていたら、芭蕉のあの有名な句、
明けぼのやしら魚白きこと一寸
を次の詩の冒頭に据え、そこから詩を展開していこうと思うようになった。
クノーの詩《LES ZIAUK(泪)》について考えていたため、ぼくの心のなかでイメージの移り変わりがおきたのだ!
ふたつの詩の間で、ぼくのイメージは跳躍する。
これは「詩」というより、連句の虚実・軽みの感性だ!
アラゴンの詩集《断腸》にみられるように、言葉の韻を踏む(転位・転換)ことでの跳躍の可能性をさぐってもなかなか難しく、大部分の詩人は、言葉の抽象性に「期待」し、それをこねまわしてしまう・・・。
労労一寸勘違魚目痛。
この「人それを呼んで反歌という」という詩集は、巨大な城のようなものです。一月から三月まで読んだところで、城の壁の内側に入りました。
次の四月の「道化」は内部の玄関にあたるような部分です。そこには宮殿の玄関が見られることでしょう。
すこし遠くを見ると、六月の「球根たち」のところには、瀟洒な天守閣がみられます。またはるか後ろの内壁の一部が大きな尖塔を成していています。それが、十一月の「人それを呼んで反歌という」なのです。
四月の「道化」はなかなか曲者です。玄関に見せかけておいて、内壁の一部なのかもしれません。落とし穴が作られているのでは、とも考えさせられます。
この城については、「人それを呼んで反歌という」の全体像のところで、イラスト化しました。